胃がん手術中の貧血が舌下微小循環に与える影響:GDFT下の前向きコホート研究

解説対象論文: Alteration of sublingual microcirculation in anemic patients during gastric cancer surgery under goal-directed fluid therapy: a prospective cohort study
Journal of Clinical Monitoring and Computing|被引用数: 0(2026年10月17日時点)
胃がん手術を受ける対象者において、術前の貧血が術中の舌下微小循環にどのような影響を与えるのか、そして目標指向型輸液療法(GDFT)下で全身の大きな血管(マクロ循環)と組織レベルの小さな血管(ミクロ循環)との関連性がどうなるのかは、これまで十分に解明されていませんでした。本研究は、この重要な疑問に答えるため、前向きコホート研究として貧血の対象者と非貧血の対象者の舌下微小循環を比較し、その変動と全身血行動態変数との関連性を明らかにしました。貧血の対象者では、麻酔導入後や腫瘍切除後に舌下微小循環のより大きな変化が見られ、全身の血行動態指標だけでは微小循環の状況を完全に反映できない可能性が示唆されています。
はじめに:マクロ循環とミクロ循環のギャップ
どうも、Beyond the Pixelです。胃がん手術は、広範囲な切除や体液バランスの変動を伴うため、周術期(手術前、手術中、手術後)の輸液管理が非常に重要です。目標指向型輸液療法(GDFT)は、脈圧変動などの動的変数を用いて輸液量を個別に調整し、術後の合併症を減らすための標準的な戦略として確立されています。しかし、GDFTは主に全身の大きな血管(マクロ循環)の血行動態変数に依存しており、これらが常に組織や臓器レベルの小さな血管(ミクロ循環)の血流状態を正確に反映するとは限りません。特にリスクの高い手術を受ける対象者、例えば心臓手術や敗血症の対象者では、マクロ循環の指標が目標範囲内に保たれていても、組織レベルで酸素不足が持続する「血行動態の不整合(デカップリング)」が報告されています。これは、マクロ循環の指標だけでは、術中の組織灌流を十分に評価できない可能性を示しています。
胃がんの対象者は、慢性的な出血や栄養不良によって貧血を呈することが少なくありません。貧血は血液の酸素運搬能力を低下させるだけでなく、血管内皮機能の障害や血液レオロジー(流動性)の変化、局所血流調節機能の低下にも関連しているとされます。そのため、術前の貧血がGDFT下での術中微小循環、さらにはマクロ循環とミクロ循環の整合性にどのように影響するのかは、これまで不明でした。近年では、手持ち式の生体ビデオ顕微鏡(sidestream dark field imaging device)を用いることで、舌下の微小循環を非侵襲的かつ直接的に評価できるようになっています。これは、微小血管血流指数(MFI)や灌流血管比率(PPV)などの変数を定量化し、全身の微小循環の状態を把握するための有効なツールとして国際的なコンセンサスも得られています。本研究は、この技術を用いて、胃全摘術を受ける対象者における貧血が舌下微小循環に与える影響を調査し、術前ヘモグロビン(Hb)濃度や従来のマクロ循環変数との関連性を明らかにすることを目的としました。
研究デザインと方法:貧血と非貧血群の比較
本研究は、前向き観察コホート研究として実施されました。対象者は、開腹胃全摘術を受ける18歳から80歳の対象者で、術前ヘモグロビン(Hb)値に基づいて貧血群(男性:Hb < 12 g/dL、女性:Hb < 11 g/dL)と非貧血群に分けられました。当初は各27名が登録されましたが、手術術式の変更や術中輸血のため貧血群から5名が除外され、最終的に貧血群22名、非貧血群27名のデータが解析対象となりました。
すべての対象者には、脈圧変動を指標とする目標指向型輸液療法(GDFT)が適用されました。マクロ循環指標として、心係数(CI)と平均動脈圧(MAP)がモニタリングされました。一方、ミクロ循環指標としては、舌下微小循環の動画がサイドストリームダークフィールドイメージングデバイス(sublingual microcirculation imaging system)を用いて記録され、微小血管血流指数(MFI)、灌流血管比率(PPV)、総血管密度(TVD)、灌流血管密度(PVD)の4つの変数が解析されました。MFIは、微小血管内の血流を0(血流なし)から3(正常血流)のスコアで評価したもので、PPVは灌流されている血管の割合を示すものです。
これらのマクロ循環およびミクロ循環の測定は、以下の4つの時点で実施されました。
- T0:麻酔導入前
- T1:全身麻酔導入直後
- T2:腫瘍切除後
- T3:手術終了時
統計解析には混合線形モデルが用いられ、微小循環変数の経時的変化と両群間の差が比較されました。また、術前Hbレベルと術中MFIの変化との相関、およびマクロ循環変数とミクロ循環変数との関連性も評価されました。
主要な研究結果:貧血対象者における微小循環の大きな変動
本研究では合計49名の対象者が解析されました。対象者の特性を比較すると、貧血群では非貧血群と比較して体重およびBMIが有意に低く、栄養状態が不良である可能性が示唆されました。しかし、GDFTによって誘導された輸液チャレンジ回数や総輸液量、術後の合併症発生率、ICU入室率などに有意な差は認められませんでした。
微小血管血流指数(MFI)は、両群間で有意な群と時間の交互作用(P=0.030)を示しました。

貧血群のMFIは、全身麻酔導入直後のT1において非貧血群よりも有意に低い値を示しました(P=0.013)。腫瘍切除後のT2では統計的な有意差は認められませんでしたが(P=0.071)、手術終了時のT3では両群間の差は消失していました(P=0.461)。しかし、MFIは両群ともにT0(ベースライン)と比較してT1、T2、T3の全ての時点で有意に低いままでした。
灌流血管比率(PPV)については、群と時間の交互作用は有意ではありませんでしたが、時間の効果は有意でした(P=0.001)。貧血群では、腫瘍切除後のT2においてPPVが非貧血群よりも低い値を示しました(P=0.010)。総血管密度(TVD)および灌流血管密度(PVD)については、交互作用、時間、群のいずれの効果も統計的に有意ではありませんでした。
相関分析の結果、術前のHb濃度が低いほど、T1からT0へのMFIの減少(ΔMFIT1−T0、ピアソン相関係数 r=0.343, P=0.016)およびT2からT0へのMFIの減少(ΔMFIT2−T0、スピアマン相関係数 ρ=0.369, P=0.009)が大きくなることが示されました。このことから、貧血の重症度が高いほど、術中の微小循環の変化が大きいことが示唆されます。しかし、マクロ循環変数である平均動脈圧(MAP)や心係数(CI)と、舌下微小循環変数であるMFIやPPVとの間に、いずれの群においても有意な関連性は見られませんでした。

これは、従来の全身血行動態の目標が、この脆弱な集団における舌下微小血管灌流を完全に反映していない可能性を示唆しています。
考察:なぜ貧血は微小循環を変化させるのか
本研究では、GDFT下での胃がん手術において、貧血の対象者が非貧血の対象者よりも、特に麻酔導入後と腫瘍切除後に舌下微小循環のより大きな周術期変化を示すことが明らかになりました。術前のヘモグロビン濃度が低いほど、MFIの減少が大きくなることも確認され、貧血状態における微小血管の脆弱性が示唆されました。ただし、これらのMFIやPPVにおける絶対的な差はわずかであり、両群ともに生理学的範囲に近い値であったため、臨床的な意義については慎重な解釈が必要です。
以前の研究では、妊娠中の貧血女性で総血管密度(TVD)と灌流血管密度(PVD)の上昇が報告されていますが、本コホートでは血管密度に群間の差は見られませんでした。この違いは、妊娠中の貧血が主に生理的変化に関連するのに対し、胃がんにおける貧血が病理的プロセスであることに起因する可能性があります。妊娠中には血管新生刺激が存在しますが、がんにおける貧血ではこれらのメカニズムが異なるため、血管密度の変化として現れないのかもしれません。術前のHbレベルが低いほどMFIの減少が大きいという結果は、貧血の重症度が手術中の微小循環の変化と段階的に関連していることを示唆しています。
全身麻酔は、両群ともに舌下微小循環灌流の低下と関連しており、これは非心臓手術を受ける対象者における先行研究の観察結果と一致します。MFIとPPVが異なる時間パターンを示したことは注目に値します。MFIにおける群間差は麻酔導入直後に最も顕著でしたが、PPVにおける有意な群間差は腫瘍切除後に観察されました。これは、これらの変数が捉える生理学的情報が異なることを反映している可能性があります。MFIは微小血管血流の主要なタイプを半定量的に評価するため、麻酔導入後の急性血行動態や血管トーヌスの変化により敏感である一方、PPVは手術、出血、血液希釈、酸素運搬能力の低下といった累積的な影響を受けやすいのかもしれません。しかし、これらの解釈は推測の域を出ません。
本研究において、GDFTと血管作動薬による全身血行動態の目標維持にもかかわらず、舌下微小循環灌流は麻酔導入後に低下し、MFIは手術終了時にもベースラインを下回ったままでした。さらに、MAPやCIとMFIやPPVとの間に有意な関連性は確認されませんでした。これらの結果は、胃全摘術中に血行動態の整合性が部分的に失われ、全身血行動態の回復が必ずしも十分な微小血管灌流を保証するものではないことを示唆しています。敗血症の対象者や心臓手術を受ける対象者でも、全身血行動態変数が正常化しても微小循環異常が持続するという血行動態の不整合が報告されており、本研究の結果はこれらの知見と一致しています。
この整合性の欠如にはいくつかのメカニズムが考えられます。まず、微小循環灌流は、全身血圧単独ではなく、前毛細血管括約筋の活動、内皮性一酸化窒素放出、組織代謝要求といった局所的な自己調節メカニズムによって主に制御されています。したがって、MAPやCIの正常化が毛細血管灌流の回復に直接つながるとは限りません。次に、術前の貧血は血管内皮機能不全や血液レオロジーの特性変化を引き起こし、微小血管の反応性を損ない、微小循環血流が全身血行動態変化への依存度を低くする可能性があります。第三に、血管作動薬の投与は、全身動脈圧の維持には有効であるものの、微小血管系には不均一な影響を与える可能性があります。例えば、ノルエピネフリンは灌流圧を上昇させる一方で、微小血管のトーヌスを変化させ、マクロ循環指標が良好であっても毛細血管血流に影響を与える可能性があります。
研究の限界と今後の展望
本研究にはいくつかの限界があります。まず、舌下微小循環の評価は手動による解釈に依存しており、MFIの評価には主観性が伴う可能性があります。次に、PPVの95%信頼区間が広かったことは、対象者間のかなりのばらつきを示唆しています。これは非心臓手術における先行研究でも報告されており、個々の微小循環変数の異質性と一致します。第三に、貧血群の対象者数が22名と、事前に規定された最小サンプルサイズを辛うじて満たす数であり、探索的解析の検出力(power)を制限しました。また、登録後の除外対象者5名がすべて貧血群であったため、この不均衡が選択バイアスを導入し、貧血対象者の微小循環障害を過小評価した可能性があります。最後に、本研究で用いられた貧血の定義はWHOの基準とは異なっており、この結果の軽度貧血対象者への一般化可能性を制限するかもしれません。
特筆すべきは、貧血対象者で観察された周術期の大きな微小循環変化が、術後の主要な合併症(例えば吻合部病変)の高い発生率を伴わなかったことです。驚くべきことに、これらの主要合併症は、舌下微小循環変数に顕著な異常を示さなかった非貧血対象者で発生しました。舌下微小循環が必ずしも消化管の微小循環灌流を反映するとは限らないため、この発見は舌下微小循環と吻合部治癒との間の因果関係を支持するものではありません。さらに、サンプルサイズが小さくイベント数も少なかったため、本研究は術中の微小循環変化と術後転帰との関連性を評価するほどの検出力を持ちませんでした。したがって、観察された微小循環の差の臨床的関連性については、今後の大規模研究でさらに調査する必要があります。
まとめ
本前向きコホート研究では、目標指向型輸液療法(GDFT)下での胃がん手術において、貧血の対象者は特に麻酔導入後および腫瘍切除後に、非貧血対象者よりも舌下微小循環に大きな周術期の変化を示すことが明らかになりました。術前ヘモグロビン(Hb)濃度が低いほど微小血管血流指数(MFI)の減少が大きくなることは、貧血状態における微小血管の脆弱性を示唆しています。さらに、平均動脈圧(MAP)や心係数(CI)といったマクロ循環変数と舌下微小循環変数との間に検出可能な関連性が欠如していたことは、従来の全身血行動態の目標値が、GDFT中における舌下微小血管灌流を完全に反映しているわけではない可能性を示唆しています。これは、微小循環の直接的なモニタリングが、術中の個別化された管理において有用な情報を提供するかもしれないことを意味します。
補足図表
Table 1

用語集
- 目標指向型輸液療法(GDFT): 脈圧変動などの動的指標を用いて、個々の対象者に合わせた輸液量を管理する治療法。
- マクロ循環: 心臓や主要な血管など、全身の大きな血管系における血流。
- ミクロ循環: 毛細血管など、組織レベルの小さな血管系における血流。
- 血行動態の不整合(デカップリング): 全身のマクロ循環が安定していても、組織レベルのミクロ循環が障害されている状態。
- 微小血管血流指数(MFI): 舌下微小血管の血流を0(血流なし)から3(正常血流)のスコアで半定量的に評価する指標。
- 灌流血管比率(PPV): 舌下微小血管において、実際に血流が灌流している血管の割合を示す指標。
- 総血管密度(TVD): 評価対象領域における血管の総長さを示す指標。
- 灌流血管密度(PVD): 評価対象領域における、血流が灌流している血管の総長さを示す指標。
- サイドストリームダークフィールドイメージングデバイス: 手持ち式で、舌下などの微小循環を直接観察・記録できる装置。
- 心係数(CI): 心臓が1分間に拍出する血液量(心拍出量)を体表面積で割った指標。全身の循環状態を示す。
- 平均動脈圧(MAP): 全身の臓器に血液を送り出す平均的な圧力を示す指標。
- ヘモグロビン(Hb): 赤血球に含まれるタンパク質で、酸素を運搬する役割を担う。
- 脈圧変動: 人工呼吸中の吸気時と呼気時における動脈圧波形の差で、輸液反応性を予測する指標の一つ。
- 血管作動薬: 血管に作用して血圧や血流を調節する薬剤。
- 血液レオロジー: 血液の流動性や粘性といった物理的特性を扱う学問分野。
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