非侵襲的NIRSを用いた心臓手術中の全身酸素飽和度と心拍出量モニタリングの可能性

解説対象論文: Near-infrared spectroscopy for estimating mixed venous oxygen saturation and cardiac output during off-pump coronary artery bypass grafting: a prospective observational study
Journal of Clinical Monitoring and Computing|被引用数: 0(2026年8月19日時点)
心臓手術中の全身の酸素供給と消費のバランス、そして心拍出量(心臓が1分間に送り出す血液量)を正確に把握することは、対象者の安全な周術期管理において非常に重要です。しかし、これらの指標を測定するために広く用いられてきた肺動脈カテーテル(PAC)は、その侵襲性から使用が減少傾向にあります。そこで、非侵襲的に全身のヘモダイナミクスをリアルタイムでモニタリングできる代替手段への関心が高まっています。今回ご紹介する研究は、近赤外分光法(NIRS)を用いて、混合静脈血酸素飽和度(SvO₂)と心拍出量(CO)を非侵襲的に推定する可能性を探ったものです。
はじめに:心臓手術におけるヘモダイナミクスモニタリングの課題
どうも、Beyond the Pixelです。心臓手術中の全身の酸素供給と消費のバランス、そして心拍出量(心臓が1分間に送り出す血液量、以下CO)を正確に把握することは、対象者の安全な周術期管理において非常に重要です。これまで、これらの指標を測定するために肺動脈カテーテル(PAC)が広く用いられてきましたが、その侵襲性に伴うリスクや、必ずしも臨床転帰改善に寄与しないという研究結果から、近年その使用は減少傾向にあります。そこで、PACに代わる、より安全で非侵襲的なリアルタイムモニタリング技術の開発が求められています。本研究は、近赤外分光法(NIRS)という非侵襲的な技術を活用し、混合静脈血酸素飽和度(SvO₂)と心拍出量(CO)を推定する新たなアプローチの可能性を探るものです。NIRSは、オキシヘモグロビンとデオキシヘモグロビンの吸光度の違いを利用して、組織の酸素飽和度をリアルタイムで測定できる技術です。これまでの研究では、脳NIRSが脳の酸素脱飽和を検出するために心臓手術で広く用いられており、脳の静脈酸素飽和度が全身の静脈酸素飽和度と生理学的に連動している可能性が指摘されていました。この研究では、簡単なキャリブレーションを行うことで、脳NIRS由来の局所酸素飽和度(rScO₂)がSvO₂を確実に追跡できるか、また、内頸静脈(IJV)に直接NIRSセンサーを配置することで、その局所酸素飽和度(rSjvO₂)がSvO₂の代替となるかを評価しました。さらに、これらのNIRSに基づくSvO₂の代替指標を用いて、連続的なCO推定が可能かどうかも検証しています。
研究の目的と方法:非侵襲的NIRSによるSvO₂とCOの評価
本研究の目的は大きく二つありました。一つ目は、頸静脈NIRS(rSjvO₂)とベースラインキャリブレーション済み脳NIRS(cal-rScO₂)が、混合静脈血酸素飽和度(SvO₂)の代替指標としてどの程度の一致度とトレンド追跡能力を持つかを明らかにすることです。二つ目は、これらのNIRSに基づくSvO₂の代替指標を組み込んだ修正Fick法を用いて、連続的な心拍出量(CO)を推定するNIRSベースのCO推定法が、熱希釈法によるCO測定値(COTD)とどの程度一致するかを評価することでした。本研究は、韓国の単一三次医療施設で実施された前向き観察研究であり、2023年2月から2025年12月にかけて、待機的オフポンプ冠動脈バイパスグラフト術(OPCAB)を受ける成人25名が登録されました。対象者の特性は多岐にわたり、男性が84%、平均年齢は67歳でした。

NIRSセンサーは、左内頸静脈(IJV)上には超音波ガイド下で、両側前頭部には通常の方法で装着されました。 SvO₂とCOTDの測定には、肺動脈カテーテル(PAC)が参照基準として用いられました。データの分析には、Bland-Altman解析と線形混合効果モデルによる一致度の評価、およびエラーグリッド解析によるトレンド追跡能力の評価が用いられています。NIRSベースのCO推定には、先行研究で導出された修正Fickの原理に基づく式が適用されました。特に、cal-rScO₂は、初期の安定したモニタリング期間において、SvO₂と左脳rScO₂の平均値の差をオフセットとして、その後のrScO₂値に加算することで、対象者固有のベースラインキャリブレーションが行われました。この手法により、cal-rScO₂はPAC由来のSvO₂による単一ポイントキャリブレーションを必要とするため、完全な非侵襲的測定とは異なり、キャリブレーション依存的な代替指標と位置づけられました。
NIRSセンサーの配置とデータ収集
本研究では、脳酸素飽和度をモニタリングするために、標準的なINVOS 5100C™(Medtronic社製)のNIRSセンサーが両側前頭部に使用されました。頸静脈測定の場合も同じセンサーが左内頸静脈(IJV)の上に適用されました。センサー配置に先立ち、超音波を使用して血管の位置を特定し、その深さと直径を測定しました。その後、センサーは超音波ガイド下で血管の最大横断面積の部位に沿って縦方向に配置されました。

生理学的信号は、Vital Recorder(バージョン1.14.1; VitalDB, ソウル, 韓国)を用いて連続的に記録され、共通の時間軸で同期した複数デバイスからのデータ取得が可能でした。抽出された変数には、SpO₂(経皮的動脈血酸素飽和度)、SvO₂とその信号品質指標(SQI)、COTD(STATモード)、吸気および呼気酸素濃度(FiO₂とEtO₂)、分時換気量(MV)、SpHb(経皮的ヘモグロビン濃度)、そして頸静脈(rSjvO₂)および脳NIRS(rScO₂)からの局所酸素飽和度が含まれます。分析前にはデータ品質フィルタリングが適用され、生理学的にありえない、または信頼性の低い測定値は除外されました。例えば、SpO₂が90%以下、SvO₂が90%以上またはSpO₂を超える、SQIがグレード3-4、rScO₂が30%未満または左右差が20%を超える、COTDが1-10L/minの範囲外、SpHbが5-20g/dLの範囲外などが除外基準とされました。酸素消費量(VO₂)は麻酔器のガス測定値から推定されました。
SvO₂代替指標としてのNIRSの性能
今回の研究では、SvO₂の代替指標としてのNIRSの性能が詳細に評価されました。rSjvO₂とSvO₂の繰り返し測定相関は0.568(95%CI、0.546~0.589、p<0.001)と中程度の相関を示しました。

rSjvO₂はSvO₂に対して2.0%という適度なバイアスを示しましたが、一致の限界(LoA)は-14.9%から18.9%と広範囲に及びました。これは、測定値の一貫性が低いことを示唆しています。特に、IJVの解剖学的深さによって精度が異なり、IJV深度が1.38cmの時に最も誤差が小さいことが観察されました。

一方、cal-rScO₂はSvO₂に対して0.8%とより良好なバイアスを示し、LoAも-7.8%から9.4%と狭い範囲でした。繰り返し測定相関は0.683(95%CI、0.666~0.698、p<0.001)とより強い相関を示しました。(図2) SvO₂が65%未満の場合の検出能力を評価するROC解析では、cal-rScO₂はAUCが0.970と優れた識別性能を示しました。最適なカットオフ値69.8%では、感度95.9%、特異度89.8%でした。これに対し、rSjvO₂のAUCは0.861と、cal-rScO₂よりも低い識別性能でした。

トレンド追跡能力を評価するエラーグリッド解析では、rSjvO₂は5分間隔で89.8%、10分間隔で81.8%のデータポイントがZone 1(正確な追跡)に分類され、良好なトレンド追跡能力を示しました。cal-rScO₂はさらに優れており、5分間隔で92.2%、10分間隔で84.7%がZone 1に分類されました。

これらの結果から、cal-rScO₂は、シンプルな1点キャリブレーション後にOPCAB中のSvO₂トレンドを追跡するための有用な代替指標となりうると考えられます。頸静脈NIRSは、解剖学的条件が整った特定の対象者には有用である可能性がありますが、その精度はIJVの深さなど個体差に大きく依存することが示されました。
NIRSに基づく心拍出量(CO)推定の評価
SvO₂の代替指標としての性能が劣っていたrSjvO₂とは異なり、CO推定には主にcal-rScO₂が使用されました。修正Fick法を用いたNIRSベースのCO推定値(CONIRS-Fick)と、熱希釈法によるCO測定値(COTD)とのBland-Altman解析の結果、CONIRS-Fickは有意な比例バイアス(傾き=0.972、p<0.001)を示しました。これは、COが増加するにつれてバイアスも約1L/min増加することを示しており、平均3.7L/minでのバイアスは0.5L/min(95%CI、0.3~0.7L/min)でした。一致の限界(LoA)は-0.7L/minから1.7L/minと広範で、パーセンテージ誤差は33.0%(95%CI、27.4~41.5%)と、臨床的に許容されるとされる30%の閾値に近づくものでした。

このCOの過小評価は、特に高いSvO₂レベルで顕著でした。トレンド追跡能力を評価するエラーグリッド解析では、CONIRS-Fickは限定的な性能しか示しませんでした。Zone 1(正確な追跡)に分類されたデータポイントは、15分間隔で29.6%、30分間隔で31.0%に過ぎませんでした。Zone 3(変化の見落としまたは誤警報)が44.4%および38.4%と大部分を占め、Zone 4(臨床的に危険な不一致)のイベントも両間隔で8%を超えました。これは、CONIRS-Fickが方向性や変化の大きさを確実に追跡できていないことを示しており、実用的な臨床応用には不十分であることを意味します。このことから、NIRSに基づくCO推定は、現在のところ臨床的に不十分であるという結論に至りました。
研究の意義と臨床的示唆
本研究は、非侵襲的モニタリング技術であるNIRSの役割を、従来の局所酸素飽和度モニタリングから全身のヘモダイナミクスパラメータ推定へと拡大する可能性を探った点で重要な貢献をしています。これは、これまで肺動脈カテーテル(PAC)のような高度に侵襲的な手技から得られていた情報を、より低侵襲的な方法で代替する潜在的な道筋を示唆するものです。特に、キャリブレーション済み脳NIRS(cal-rScO₂)が混合静脈血酸素飽和度(SvO₂)と高い一致度を示し、SvO₂が65%未満の臨床的意義のある脱飽和状態を優れた識別能力で検出できるという発見は、その臨床的有用性を強く支持するものです。これにより、PACへの依存度を減らし、手技に伴うリスクへの曝露を潜在的に低下させることが期待されます。また、術中の心臓操作などによりSvO₂測定が困難な状況下では、cal-rScO₂が補完的または代替的なモニタリングオプションとなる可能性もあります。しかしながら、SvO₂と脳rScO₂は、それぞれ全身の混合静脈酸素飽和度と脳の局所酸素飽和度という異なる生理学的区画を反映している点に注意が必要です。脳還流が全身循環とは独立して変化するような状況では、両者が乖離する可能性があるため、cal-rScO₂はSvO₂の直接的な代替品ではなく、全身の酸素バランスのトレンドモニタリングの代替として最も適していると解釈すべきです。
頸静脈NIRSの可能性と限界
対照的に、頸静脈NIRS(rSjvO₂)は、混合静脈血酸素飽和度(SvO₂)に対して比較的広い一致の限界(LoA)と対象者間の大きな変動性を示しました。この変動性は、内頸静脈(IJV)の深さや直径といった解剖学的差異に起因すると考えられます。NIRSの有効な組織透過深度は一般的に約2~3cmに限られるため、血管が測定可能な範囲内に適切に位置しているかどうかが信号取得に大きく影響します。本研究で特定された最適なIJV深度(1.38cm)およびIJV半径を含む深さ(1.77cm)は、このNIRSの特性と一致しています。これらの限界にもかかわらず、rSjvO₂は良好なトレンド追跡能力を示しました。このため、脳外科手術や外傷対象者など、前頭部NIRSが適用できない臨床シナリオにおいては、代替のモニタリング部位として役割を果たす可能性があります。しかし、その変動性を考慮すると、IJVの深さやサイズに関して慎重な対象者選択が、適切な臨床応用のために不可欠となります。
NIRSに基づく心拍出量(CO)推定の現状
本研究で試みられたNIRSベースの心拍出量(CO)推定法は、既存の修正Fick法を非侵襲的NIRS測定値に拡張したものでした。平均COレベルでは最小限のバイアスを示し、パーセンテージ誤差は33%と、臨床的に許容されるとされる30%の閾値に近づくものでした。しかし、有意な比例バイアスの存在は、COが高くなるほど推定誤差が増大することを示しており、その実用的な適用性を制限しています。さらに、エラーグリッド解析で示された低いトレンド追跡能力は、このモデルがCOの方向性の変化を確実に追跡できないことを意味し、リアルタイムの臨床意思決定の指針としては不適切であると結論付けられました。このCONIRS-Fick法で観察された誤差パターンは、酸素抽出率が低い状態(すなわちSvO₂が高い状態)や高COの状態といった生理学的条件を、モデルが十分に考慮できていないことを示唆しています。先行研究で開発された修正Fick法は、このような条件下での推定誤差を減少させることを目的としていましたが、今回の結果は、これらの調整が、高SvO₂または高血流状態における系統的バイアスを完全に排除するには不十分であることを示しています。したがって、これらの推定値は、ゴールデンスタンダードなCO測定値と相互交換可能なものとして解釈すべきではありません。
研究の限界と今後の展望
本研究にはいくつかの限界があります。まず、単一施設での実施であり、比較的少数の25名のOPCAB対象者という特定のコホートで行われたため、その結果の一般化には注意が必要です。また、解析には4,000組以上の測定値が含まれましたが、一致度解析の実効的なサンプルサイズは、対象者内の相関があるため、主に25名の対象者数によって決定されます。第二に、キャリブレーション済み脳NIRS(cal-rScO₂)は良好な一致度、診断性能、およびトレンド追跡能力を示したものの、SvO₂との相互交換性に関する明確な閾値が確立されていないため、その代替指標としての最終的な結論はまだ下せません。さらに、初期キャリブレーションの必要性があるため、完全な非侵襲的測定とは言えません。第三に、CONIRS-Fick法は、高SvO₂または高CO状態での過小評価を完全に解決できず、その修正Fick補正は徹底的な独立した前向き検証を受けていません。非侵襲的代替指標への拡張は追加の誤差を導入するため、今回のCO解析は探索的かつ仮説生成的なものと見なすべきであり、臨床応用にはまだ適していません。このアプローチはVO₂測定も必要とするため、人工呼吸器管理下での使用に限定されます。最後に、ROC解析は脱飽和イベントが少ない(4,487件中122件、2.7%、対象者25名中11名のみ)ため、診断推定値の95%信頼区間が広くなり、解釈には注意が必要です。これらの限界を認識しつつ、本研究は、シンプルな1点キャリブレーションを通じて、OPCAB中のSvO₂の代替指標としてcal-rScO₂が臨床的に意義のある改善を示すことを明らかにしました。頸静脈NIRSは、解剖学的に選択された対象者において、超音波ガイドによる事前のスクリーニングという実用的な戦略と組み合わせることで、補完的なモニタリングオプションを提供する可能性があります。しかし、NIRSベースのCO推定は、Fick法に基づくモデリングの固有の制約により、高血流および低酸素抽出状態を確実に考慮できる洗練されたアプローチの必要性を浮き彫りにしています。
用語集
- 混合静脈血酸素飽和度 (SvO₂): 全身の酸素供給と消費のバランスを示す重要な指標です。
- 近赤外分光法 (NIRS): 組織の酸素飽和度をリアルタイムで非侵襲的に測定する技術です。
- 頸静脈酸素飽和度 (rSjvO₂): 頸静脈にNIRSセンサーを当てることで測定される局所的な酸素飽和度です。
- 脳酸素飽和度 (rScO₂): 脳にNIRSセンサーを当てることで測定される局所的な酸素飽和度です。
- キャリブレーション済み脳酸素飽和度 (cal-rScO₂): 脳酸素飽和度を混合静脈血酸素飽和度に合わせて補正したものです。
- 心拍出量 (CO): 心臓が1分間に全身に送り出す血液量で、循環機能の指標となります。
- オフポンプ冠動脈バイパスグラフト術 (OPCAB): 心臓を止めずに冠動脈のバイパス手術を行う方法です。
- 肺動脈カテーテル (PAC): 心臓や肺の血行動態を直接測定するための侵襲的なカテーテルです。
- Bland-Altman解析: 2つの測定方法の一致度を評価するための統計手法です。
- 曲線下面積 (AUC): ROC解析で、診断性能の優劣を示す指標です。
- エラーグリッド解析: 測定値の変化を追跡する能力(トレンド追跡能力)を評価する手法です。
- Fickの原理: 酸素消費量と動静脈酸素含量差から心拍出量を推定する原理です。
- 熱希釈法: 肺動脈カテーテルを用いて心拍出量を測定するゴールデンスタンダードな方法です。
- 一致の限界 (LoA): Bland-Altman解析で示される、2つの測定方法間の差の95%信頼区間です。
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