ロボット支援前立腺全摘術における脳血流動態:NIRSとONSDで探る安全な手術の鍵

解説対象論文: NIRS monitoring during steep trendelenburg in robotic prostatectomy
Journal of Clinical Monitoring and Computing|被引用数: 0(2026年8月4日時点)
ロボット支援手術は、低侵襲で精密な医療を可能にする画期的な技術です。特に前立腺全摘術では、手術の視野を確保するために、対象者の頭を低くし、足を高くする「急峻なトレンデレンブルグ体位」が用いられます。しかし、この体位と腹腔内への二酸化炭素送気(気腹)は、脳の血流動態に影響を与え、頭蓋内圧の上昇や脳浮腫のリスクがあると考えられています。本研究は、この課題に対し、非侵襲的なモニタリング技術である近赤外分光法(NIRS)と眼神経鞘径(ONSD)測定を用いて、脳の酸素化状態と頭蓋内圧の変化を評価し、それらの時間的関連性を明らかにすることを目指しました。
ロボット支援前立腺全摘術(RALP)と脳への影響
どうも、Beyond the Pixelです。医療技術の進歩は目覚ましく、中でもロボット支援手術は、その精密さと低侵襲性から多くの分野で採用が進んでいます。泌尿器科手術においても、ロボット支援腹腔鏡下前立腺全摘術(RALP)は標準的な治療法の一つとなっています。この手術では、術野を確保し、臓器の重力による移動を促すために、対象者の頭部を低く、脚部を高くする「急峻なトレンデレンブルグ体位」が用いられます。また、腹腔内に二酸化炭素を注入して膨らませる「気腹」も必須です。これらの処置は、手術を円滑に進める上で不可欠ですが、脳の血流動態に大きな影響を与える可能性があり、頭蓋内圧の上昇や脳浮腫といった合併症のリスクが懸念されています。術後の神経学的合併症は稀ではありますが、長時間の急峻なトレンデレンブルグ体位は、脳への負担を考慮する必要があるのです。
脳酸素化と頭蓋内圧を非侵襲的に測る:NIRSとONSD
脳への負担をリアルタイムで把握するためには、適切なモニタリングが重要となります。しかし、頭蓋内圧を直接測定する侵襲的な方法は、この種の手術では困難です。そこで注目されるのが、非侵襲的なモニタリング技術です。本研究では、脳酸素化の継続的なモニタリングには「近赤外分光法(NIRS)」が、頭蓋内圧の代用指標としては「眼神経鞘径(ONSD)」の超音波測定が用いられました。NIRSは、脳組織の酸素供給と消費のバランスを反映する「脳組織酸素飽和度(rSO₂)」や、酸化ヘモグロビン(ΔO₂Hb)と脱酸素化ヘモグロビン(ΔHHb)の変化を測定します。ONSDは、超音波で眼神経の周囲の鞘の直径を測定することで、頭蓋内圧の変化を高い信頼性で評価できることが示されています。本研究の目的は、RALP中のこれらの脳酸素化パラメータ(rSO₂、ΔO₂Hb、ΔHHb)とONSDの時間依存的な変化を評価し、それらの間に時間的な相関関係があるかを明らかにすることでした。
研究デザイン:40名の対象者で詳細なモニタリングを実施
この研究は、前向き観察研究として設計されました。イタリアのヌオーヴォ・オス・ペダーレ・ディ・プラートで、2024年11月から2025年5月の間にRALPを受ける成人対象者40名(ASA身体ステータスI-III)が登録されました。対象者は30度の急峻なトレンデレンブルグ体位で手術を受けました。

脳酸素化はNIRSを用いて継続的にモニタリングされ、ONSDは超音波を用いて以下の5つの時間点で左右両側で測定されました。ベースライン(T0、麻酔導入前)、トレンデレンブルグ体位45分後(T1)、トレンデレンブルグ体位120分後(T2)、膀胱尿道吻合中(T3)、そして抜管前の仰臥位(T4)です。NIRS由来のパラメータとONSDの変化との関連性を評価するために、ピアソン相関係数が算出されました。
研究結果:体位変化に伴う脳酸素化と眼神経鞘径の明確な変化
本研究では、急峻なトレンデレンブルグ体位が、脳酸素化とヘモグロビン由来のパラメータに、手術の段階に応じた明確な変化をもたらすことが示されました。左右両側で、脳組織酸素飽和度(rSO₂)と酸化ヘモグロビン変化量(ΔO₂Hb)は、トレンデレンブルグ体位の初期および長時間にわたる段階で徐々に増加し、膀胱尿道吻合中(T3)にピークに達しました。その後、仰臥位に戻った後(T4)には部分的に減少しましたが、ベースライン値には戻りませんでした。

対照的に、脱酸素化ヘモグロビン変化量(ΔHHb)は異なるパターンを示しました。トレンデレンブルグ体位の初期増加後、ΔHHbは頭位が低い状態が続くにつれて上昇を続け、手術の後期段階(T3およびT4)で最高値に達しました。これは、rSO₂やΔO₂Hbが安定または部分的に減少した時期と重なります。

眼神経鞘径(ONSD)の進行的拡大
眼神経鞘径(ONSD)は、術中の各段階で左右両側ともに進行的に増加しました。最も高い値は、手術の後期段階(T3:膀胱尿道吻合中)で観察されました。具体的には、ONSDの右側はベースライン(T0)の3.79 ± 0.36 mmから、T3で4.39 ± 0.48 mmに、T4で4.59 ± 0.47 mmに増加しました。左側もT0の3.80 ± 0.42 mmから、T3で4.56 ± 0.47 mmに、T4で4.73 ± 0.47 mmに増加しています。

このパターンは両側で一貫しており、左側でわずかに高いピーク値が観察されました。ベースラインと比較して、急峻なトレンデレンブルグ体位と気腹後にONSDは早期に増加し、その後の術中段階でも上昇を続け、手術終了時には部分的に減少したものの、ベースライン値よりは高いままでした。
脱酸素化ヘモグロビン(ΔHHb)とONSDの強い相関
相関分析の結果、脱酸素化ヘモグロビン変化量(ΔHHb)とONSDの間には、中程度から強い関連が示されました。特に、ΔHHbはONSDとの間に最も強い線形関係を示し、左右両側でr=0.63(p < 10⁻¹⁶)という相関係数が得られました。

これは、脳の脱酸素化ヘモグロビンの蓄積と眼神経鞘の拡大との間に時間的な連動があることを強く支持するものです。この結果は、脳の静脈うっ滞、すなわち脳から静脈血が適切に排出されない状態が、頭蓋内圧の指標の上昇に主要な役割を果たしている可能性を示唆しています。一方、酸化ヘモグロビン変化量(ΔO₂Hb)とONSDの関連は弱かったことから、酸素供給の増加がONSD拡大の主な要因ではないことが示唆されました。
臨床的意義と今後の展望
本研究は、ロボット支援前立腺全摘術中の急峻なトレンデレンブルグ体位において、脳酸素化が段階的に変化する明確なパターンを示すとともに、脱酸素化ヘモグロビン(ΔHHb)の進行的な増加と眼神経鞘径(ONSD)の拡大が同時に発生することを明らかにしました。この所見は、長時間の急峻なトレンデレンブルグ体位中に脳静脈うっ滞が生じ、それが脳浮腫の発生に寄与する可能性を示唆しています。線形混合モデルを用いた解析では、ΔHHbが両半球でONSD拡大の強力な予測因子であることが示されました(右: β=0.0127, p=0.0011; 左: β=0.0134, p=0.0021)。これに対し、ΔO₂HbはONSDの変化との間に統計的に有意な関連を示しませんでした。このことは、酸素供給の増加ではなく、脱酸素化血液の蓄積、つまり静脈還流の障害が、この手術環境における頭蓋内圧マーカー上昇の主要なメカニズムであることを裏付けています。NIRSによる継続的なモニタリング、特にΔHHbのトレンドを追うことは、ONSDの断続的な評価と組み合わせることで、ロボット手術中に脳うっ滞や脳浮腫のリスクがある対象者を特定するための補完的な情報を提供できる可能性があります。これにより、術中の管理戦略(例:低気腹圧の維持、換気設定の最適化、適切な筋弛緩の維持、過剰な輸液の回避)を導き、脳合併症のリスク低減に貢献できるかもしれません。本研究の対象者では術後せん妄は認められませんでしたが、視力低下などの稀ではあるものの壊滅的な合併症を防ぐ上で、このようなモニタリングの価値は大きいと考えられます。
研究の限界と今後の課題
本研究にはいくつかの重要な限界があります。まず、観察研究であるため、脳酸素化の変化と眼神経鞘径の間の因果関係を直接的に示すことはできません。観察されたΔHHbの増加とONSDの関連は、直接的なメカニズム的連結というよりは、時間的な連動として解釈されるべきです。また、サンプルサイズが40名と限定的であり、単一施設での実施であるため、結果の一般化には注意が必要です。将来的には、より大規模な多施設研究によって、これらの結果の堅牢性を確認し、個々の対象者における脳血流動態反応のばらつきを考慮する必要があります。本研究では頭蓋内圧を直接測定していません。ONSDは有効な非侵襲的代用マーカーですが、間接的な推定値であり、解剖学的要因や測定者依存の要因によって影響を受ける可能性があります。さらに、特定の臨床的閾値や診断的カットオフ値を高い感度と特異度で定義するには、今回のサンプルサイズでは限界があります。麻酔薬としてセボフルランが使用されたことも潜在的な限界であり、セボフルランが脳血管拡張を引き起こし、NIRS値を増加させる可能性を考慮する必要があります。今後は、ΔHHbの持続的な上昇とONSDの拡大が、術後の神経学的または視覚的合併症と関連するかどうかを検証する大規模な前向き多施設研究が求められます。NIRS、ONSD、および高度な脳血流動態パラメータを含む多角的モニタリングを統合することで、増加した脳酸素化値の臨床的意義を明確にし、適応的な脳反応と潜在的に有害な脳反応とを区別できるようになるでしょう。NIRSとONSDを組み合わせた閾値を確立することは、術中のリスク層別化を改善し、ロボット手術における臨床的に実用的な神経モニタリングアルゴリズムの開発を促進する可能性があります。
まとめ
本研究は、ロボット支援腹腔鏡下前立腺全摘術中の、体位変化に伴う脳酸素化の明確なパターンを明らかにしました。脱酸素化ヘモグロビン(ΔHHb)の進行的な増加が眼神経鞘径(ONSD)の拡大と同時に発生することは、長時間の急峻なトレンデレンブルグ体位中に、脳からの静脈還流が障害され、脳静脈うっ滞が生じている可能性を示唆しています。継続的なNIRSモニタリングと断続的なONSD評価を組み合わせることは、ロボット手術中に脳うっ滞のリスクがある対象者を特定するための補完的な神経モニタリング戦略を提供し、より安全な手術の実現に貢献するかもしれません。
用語集
- NIRS (近赤外分光法): 頭蓋内酸素飽和度を非侵襲的かつ継続的に測定する技術。脳組織の酸素供給と消費のバランスを反映します。
- rSO2 (脳組織酸素飽和度): NIRSによって測定される、脳組織の酸素飽和度。
- ΔO₂Hb (酸化ヘモグロビン変化量): 脳内の酸素化ヘモグロビンの相対的な変化量。
- ΔHHb (脱酸素化ヘモグロビン変化量): 脳内の脱酸素化ヘモグロビンの相対的な変化量。
- ONSD (眼神経鞘径): 超音波で測定される眼神経の周囲の鞘の直径。頭蓋内圧の非侵襲的な指標として用いられます。
- トレンデレンブルグ体位: 対象者の頭部を低くし、脚部を高くする手術体位。
- 気腹(CO₂気腹): 腹腔内に二酸化炭素ガスを注入して膨らませることで、手術スペースを確保する手法。
- 脳浮腫: 脳組織に過剰な水分がたまり、腫れが生じる状態。
- 頭蓋内圧: 頭蓋骨内部にかかる圧力。
- RALP (ロボット支援腹腔鏡下前立腺全摘術): ロボットシステムを用いて行われる、前立腺の低侵襲な全摘術。
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